どうもよよよです
「たこ焼き器」「フードプロセッサー」ですね
フードプロセッサーは節約のために家で安い鶏の胸肉でひき肉を作って鶏団子にして食感を変えつつ、飽きと戦っていこうと思ったのだが胸肉自体高くなって買わなくなったし、肉団子食うならホテルに行けばミートボールいくらでも食えるしでフードプロセッサーは棚に眠ってる、前に見たら刃が錆びてたので捨てたほうがいい
たこ焼き器も似たような感じ、わたしは偏食で気にいるとしばらくその食べ物を食べ続けるのですが食べなくなったらパタリと全く食べなくなる
たこ焼きにハマった時期は毎日のように納豆入りタコなしたこ焼きを作って食べていたが、今は5年くらい使ってない
教訓は〇〇専用調理器、みたいなのは絶対使わなくなるのでやめたほうがいい
PS3PS4もパソコン買ってからは全く使ってない、スイッチは遊ぶけどね
使ってない家具もそうだがむしろ俺の問題はこれいつまで使うの?というぐらい物を買い替えないことだと思う
服も12年ぐらい着てるのがある、クッションとかも、俺がいい感じに頭を乗せられる7年前に買った安売りワゴンで見つけた犬用のクッションがあるんだけど、それと同じ硬さのクッションを出かけるたびに家具店やホムセンを探しすが、どうしても見つからず仕方なくこんにちまでそれを使い続けてる、一応洗濯はしてるがそれでもおじさんの皮脂で変な匂いがしてる
俺は犬用のじゃなきゃダメなんだと犬用のクッション置き場で自分のベストマッチのクッションを探してる
犬用って硬いんだよ体重を乗せられるのでそれがいい、人間用だとメーカーがやたらと柔らかければいいと思ってるので合わない
最近俺は旅行を楽しめない性分なんじゃないかと思い始めてきた
自分は徹底的なリスク回避型の人間で、旅行とは一番相性が悪いのだと
旅行には驚きが楽しめる人間が向いていて、ハプニングとかもそうだが、未知の人、未知の場所、そういう場所に魅力を感じる人じゃないといけない
俺はハプニングなんか起きてほしくないし、知ってる道のほうが安心する
帰りの便に乗り遅れてそこで助けてくれた人と意気投合して、ということも絶対にない
なぜ絶対に乗り遅れないのか
それは旅行中は常に次の予定は何時あそこ到着だとか帰りの便の時間があるから寝坊しないよう疲れを残さないようにしないと、だとかを異常なほど気にしているからだ、絶対に予定通りがいいからだ
先日言った、無能でズボラなくせに完璧主義者というやつだ、適切な場面で力を抜けない人間、端的に言ってバカ
スケジュール通り回らないと!と旅行中はずっと軽く緊張してる
そういう気が小さい人間は旅行を楽しめないのだ
行くとしてもホテルの温泉でのんびりするみたいな他人から見てクソつまらなそうな旅のが一番楽しい
現代社会において本気でむかつく奴を殴りたいとなったとき格闘技やるのはむしろ不利だ、殺意があると見なされる、鍛えた分だけケガが重くなり民事刑事罰が重くなる
ヒョロヒョロの筋肉なしおだったら、バカにされ本当にたまらなくなって人を殴った際に傷害罪になるところを
格闘技やってたばかりに自分が殴ったら人が死ぬかもしれない、のに殴ったから殺人未遂ね、などとなったら目も当てられない
だから本当にムカついた時に人を殴れる余地を残しておきたいなら、格闘技だの無駄に身体を鍛える事だのはやるべきじゃないんだよ
人を殴りたいなら鍛えるな
俺は鍛えないことでまだその余地を残してる、怖いか?格闘技経験者よりよほど怖いと思うだろう
自分は時に重い使命を背負ってるなと思います
自分が無能ゆえに苦しんでる人たちの道しるべとなっているのだと
まさに人生よよよの生き方が「無能のままでいいんだよ」と全てのクズどもに光を当て安心を与えているのだと、身が震える思いだ
社会というと無能を見つければすぐに努力しだいでどうにでもなるよと「カイゼン」を促す
無能を一つの個性と捉えれば、それは人格否定でしょう、歩けない人に無理に歩けと言ってるのと同じ
無能のままではいけないという社会からの残酷な矯正をむざむざ受け入れなければいけないのか?無能は無能のままではいけないのか?
こちとら生まれ持っての無能なのだから無能な自分も自分である、無能な自分として変わらずに生きていけるなら一番それがいいわけ
それが実現できるのがみんな大好きリタイア、ということ
残酷な社会の矯正を受けずに無能として楽しく生きていける唯一の方法、それを体現し全ての無能の道しるべとなるべく今日も使命感を帯びて真剣な眼差しでゲームに取り組んでいきます